読書会(ブッククラブ)の歴史と現代的役割を詳しく解説。欧米の読書サロン、日本独自の「会読」、そしてマイノリティの学びの場としての進化を経て、現代ではありのままの自分でいられる「サードプレイス」へ。歴史から学ぶ、本をみんなでシェアするたのしみ方の全貌をご紹介します。
「読書はひとりで静かにするもの」というイメージがあるかもしれません。 しかし歴史を紐解いてみると、じつは本を「共に読む」、つまり読書会を開いて本を読むという文化の歴史は非常に長いです。
現代のように本が安価で誰でも一人でたのしめるようになったのは、歴史的に見ると最近のこと。そのため、本をきっかけに集まり、語り合うことで本への学びを深める文化が洋の東西を問わず生まれるとともに、継続的に集まりお互いの意見や考えを理解し合うコミュニティが形成されていきました。
このような読書会をはじめとする本にまつわるアクティビティを継続的に行う場のことを「ブッククラブ」といいますが、ブッククラブの文化は時代の変化とともに徐々に役割を変え、デジタルコンテンツが全盛である現代でも新しいトレンドが生まれています。
今回は、歴史的に見た読書会やブッククラブの歴史を紹介しつつ、現代において新たに花開くブッククラブ文化のあり方について解説します。
📕本記事のサマリー
・ブッククラブのはじまり:知識を広くたのしむ「読書サロン」、庶民に本を届けた「貸出文庫」の存在
・日本における読書会「会読」の文化:身分を超えてフラットに議論する「会読(かいどく)」が江戸時代に流行。日本独自の民主的な学びの場として機能しました。
・アメリカのブッククラブ・カルチャー:19世紀以降、読書会はマイノリティにとっての「学びの場」となり、リーダーシップの育成や自己を語り、アイデンティティを確かめ合うための安全な場所へと進化していった。
・現代のブッククラブに求められるもの: 現代のブッククラブは、これらの歴史を受け継ぎ、本をきっかけに語り合い、ありのままの自分で考え、語り合える「サードプレイス」としての役割を担っている。
読書はもともと、世界共通の「ソーシャルなたのしみ」だった?
「読書」と聞くと、多くの人は「一人で静かにページをめくる、孤独で内省的な時間」をイメージするかもしれません。もちろん、実際に文字を読み行間から思索を巡らしたり物語をイメージするのは、個々人にとってのかけがえのない体験であることに変わりはありません。
しかし、じつは読書の歴史を紐解いてみると、そこには「読書がソーシャルなたのしみだった」という側面も見えてきます。
📘本は特権階級しか手に入られないものだった
活版印刷技術が発明される以前、本といえば羊皮紙を使用した聖書や神学書、古典文献の写本が中心であり、インクと羽ペンを用いて一文字一文字を書き写して制作する大変な手間とコストのかかるものでした。そのため、教会か王侯貴族などの有力者のみが所持できる貴重品と位置付けられていました。
15世紀、グーテンベルグが活版印刷を発明し、紙を使った本の量産が可能になりました。この活版印刷技術は宗教改革に大いに活用され、ラテン語からドイツ語、さらに各国の言語に翻訳された聖書が広く普及したことにより、ヨーロッパの識字率向上に寄与するとともに、さまざまな技術の発展にも貢献していきます。
しかし、それでも本は現在のように安価で大量に流通するものではありませんでした。18世紀ドイツを中心に印刷技術がさらに発達するとともに、徐々に出版市場が形成・定着期を迎える「読書革命」が起こりましたが、それでも本は現在ほど安価な流通価格とはなりませんでした。
📘「本が高価なもの」だったからこそ生まれた読書会の文化
このように、本が「当たり前のように普及・流通し、安価で誰もが手に取れるもの」となったのは、じつは歴史的に見ると最近のことといえるでしょう。
一方で、その頃には一般庶民にとっての読書は宗教的、または職能的な素養を身につけるための目的だけではなく、娯楽的にたのしむ/教養を身につける営みとして定着し始めます。そのようななかで、知識や物語を求める人々は「みんなで本をシェアする」という方法を選びました。
当時、一部の特権階級の中でも本を起点に集まり、語り合う「文学サロン」のような存在はありましたが、同時に庶民の間でも本を安価に貸出す「貸出文庫」の存在が大きな人気を集めました。また身近なコーヒーショップやパブなどに人々が集まり、新聞や本の一節を誰かが読み上げ、それを聞いて感想や意見を交わし合うような「共読」の文化が形成されていきます。
このように、一つのコンテンツを知り合いや友人同士でシェアして盛り上がる文化は、現代の私たちがサブスクの映像や音楽、あるいはPodcastをシェアして盛り上がる文化と非常に似ています。まさに読書の歴史におけるブッククラブの形成は、人々が本を介していかにつながり、日常をたのしんできたかという「本を通じた社交の発明」といえるでしょう。
“詠む・読む・語る”日本人が受け継いできた「響き合う」ブッククラブ・カルチャー
では、このような本や文学を共に読み、語り合う読書会やブッククラブのような文化は、西洋だけに見られるものなのでしょうか? じつは、日本では西洋とは少し異なるあり方で「みんなで本をたのしむコミュニティ」のあり方が形成されていました。
📘日本の文化が持つ、本や創作を「座」でたのしむスタイル
日本人が「みんなで本をたのしむ」ことに惹かれるのには、じつは非常に古いルーツがあります。それは江戸時代よりもずっと前、平安や中世の時代から続く、一つの作品を複数人でつくり上げ、「詠み」合い、響き合う文化のあり方です。
その象徴が「座(ざ)」(※楽座のような商工業者の組合という意味ではなく、連歌や俳諧などを通じて人々が集まり、感性を響き合わせる「場」を指します)と呼ばれる空間です。
例えば、一人が詠んだ言葉に別の人が共鳴し、さらに言葉をつないでいく「連歌(れんが)」のようなたのしみ方は非常にクリエイティブな時間であり、言葉を通じたお互いの感性を交換し合う体験をもたらします。
左右二組に分かれ、双方の組の歌がいかに素晴らしいかを主張し合って優劣を決める「歌合」は、ある種現代におけるビブリオ・バトルにも似た様相を持ちます。
そんな詩作を中心として「場にいる全員で一つの世界を編み上げる」たのしみ方は、日本人が古来より大切にしてきた豊かなコミュニケーションのかたちでした。
📘江戸時代に流行したフラットな学び場「会読」
一方で「立場を超えて学びを深める対話の場」というものも生まれています。それが江戸時代に流行した「会読(かいどく)」です。
当時の日本は厳格な世襲制の身分社会であり、会読を開催していたのは藩校や私塾であったため、参加をしていたのはそこに通うことができた武士階級や比較的裕福な商人が中心でした。しかし「会読」の場では身分の上下もなく皆対等とされ、先生により一方的に教わるのではなく、参加者同士がフラットな立場でテキストを読み解き、納得がいくまで議論を交わしました。
「本」という共通のテーマがあるからこそ、立場を超えて深い対話ができる。「会読」の相互コミュニケーション性や継続性を持ったクローズドなコミュニティのあり方は、現代のブッククラブとの共通点も多く、知的好奇心を刺激しながらより深い学びを提供します。
このように、読書会やブッククラブと非常に近い文化は、実は日本の中でも非常にポピュラーかつ歴史に根差したものとして存在しています。
読書会やブッククラブは決して敷居が高いものでも、海外だけで成功しているものでもなく、純粋に「本をたのしみたい」「本を通じて語り合いたい」という万国共通の思いが根底にある文化なのです。
自分を、社会をアップデートする。近代アメリカで育まれたブッククラブの「学び」と「絆」
19世紀から20世紀のアメリカに目を向けると、ブッククラブはさらに私たちの日常に近い
「自己成長」と「エンパワーメント」の場へと進化を遂げます。
📘ブッククラブにより、 自ら「学びの場」を創り出したマイノリティの姿
特に大きな役割を果たしたのが、社会的に不利な立場にあった女性やマイノリティの人々でした 。まだ女性やマイノリティの人々が教育へのアクセスを制限されていた時代、彼女たちは自分たちで読書会を立ち上げ、そこを独自の「学びの場」として活用しました 。
本を読み、議論し、グループを運営するための規約づくりや議事進行を実践する中で、彼女たちは確かな知性とリーダーシップを磨いていきました 。これは、
単に知識を吸収するだけでなく、自らの手で「場」を運営する力を育む、実践的な学びの場でもあったのです。
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ブッククラブは、ありのままの自分を取り戻す「秘密基地」
さらに20世紀に入ると、読書会は単なる知識習得の場を超え、本を通じて「私はこう思う」「私の人生ではこうだった」と、
自分自身のアイデンティティを語り直すための場所になっていきました 。
日常の役割(仕事や家事など)を離れ、ありのままの自分を見つめ直し、他者の経験に共感する 。こうした「居心地の良い秘密基地」としての価値は、現代の私たちがブッククラブに求める「心の豊かさ」の基盤となっています。
📘現代に受け継がれるブッククラブの「エンパワーメント」の精神
本を起点とする対話から自らと向き合い、自己の本来性を取り戻し、相互的にエンパワーメントしていく。このようなブッククラブのあり方は、連綿と現代へと引き継がれています。
例えば、ハリウッド俳優のリース・ウィザースプーンさんが主宰する「
Reese's Book Club」は、女性によって書かれた女性を描いた物語に光を当てた本が課題本として選書されることで知られています。
また、ナイジェリア系アメリカ人作家で起業家のグローリー・エディムさんが主宰している「
Well-Read Black Girl」のように、特定のアイデンティティを持つ人々が安全に意見を交わす場としても機能しています。
現代のブッククラブが担う「本を起点に自分を取り戻すサードプレイス」としての役割
ヨーロッパの「シェア」の精神、江戸時代の「フラットな対話」、そしてアメリカで生まれた「自己形成とエンパワーメントの場」としての側面。
これら全ての歴史に共通しているのは「本をきっかけに、誰かと対等に語り合うことの心地よさ」です。
情報が溢れ、SNSでの「映え」や仕事の成果に追われがちな現代、ブッククラブは単なる「読書習慣の場」を超え、ありのままの自分でいられる「サードプレイス(第3の居場所)」としての役割を強めています。
①ありのままの自分で語り合える:仕事の肩書きや役職を脱ぎ捨てて、本を通じて感じたことを素直に言葉にできる場所
②「正解」を求めない贅沢: 「正解を言わなきゃ」というプレッシャーも不要です 。歴史上の先人たちがそうだったように、本をきっかけに自分が抱えている気持ちや考えを分かち合い、誰かとつながること自体をたのしめる場所
③誰しもが知的好奇心に素直になれる: 参加資格は「互いのパーソナリティや意見をリスペクトする心」のみ。誰もが自身の知的好奇心の赴くままにアクセスできる学びと気づきの場所
数百年前から続く「本をたのしむコミュニティ」ブッククラブの扉は今、デジタルの力を借りてさらに広く開かれています。一人で読むだけでは味わえない、誰かの感性に触れて自分の心が揺さぶられる体験、みんなと一緒だからこそ「たのしい!」に変わる瞬間があります。
もっと自由に、もっと多様に。本を「たのしむ」場を、あなたもつくってみませんか?
💡本記事のまとめFAQ
Q1. 一般的な「ブッククラブ(読書会)」とはどのような活動ですか?日本人にとっても身近なものなのでしょうか?
A. ブッククラブとは、一冊の本をきっかけに人々が集まり、感想や意見を継続的に分かち合う「社交的なたのしみ」の場です 。 現代的な響きがありますが、じつは日本には古くから、複数人で感性を響き合わせる「座(ざ)」や、立場を超えてフラットに語り合う「会読(かいどく)」という独自の文化が深く根付いています 。本を介して誰かとつながり、学びや気づきを深める体験は、日本人にとっても非常に親和性が高く、歴史的に見ても身近な営みといえます。
Q2. 日本における読書会的な文化「会読」について教えてください。
A. 江戸時代に流行した「会読」は、当時の厳格な身分社会において例外的に「身分の上下に関わらず対等」に議論ができる場所でした 。先生が一方的に教えるのではなく、参加者同士が対等な立場でテキストを読み解くこのスタイルは、現代のブッククラブが持つ「フラットな対話」の精神そのものです。
Q3. アメリカの歴史において、ブッククラブはどのような役割を果たしたのですか?
A. 19世紀以降、教育や政治から排除されていた女性やマイノリティの人々にとって、読書会は独自の「学びの場」となりました 。そこで規約作りや議事進行を実践することでリーダーシップを磨き、さらには本を通じて自らのアイデンティティを語り直す(ナラティブ)ための「安全な場所」として進化しました。
Q4. 自分でもブッククラブを主宰してみたいのですが、何か特別な知識や資格は必要ですか?
A. 特別な専門知識や資格は一切必要ありません 。 大切なのは、参加者が日常の肩書きを脱ぎ捨てて自分らしくいられる「サードプレイス(第3の居場所)」を作りたいという思いです 。歴史上の先人たちがそうであったように、完璧な正解を求めるのではなく、本をきっかけに誰かとつながること自体をたのしむ姿勢があれば、誰でもブッククラブの主宰者になれます 。「互いの意見をリスペクトする心」を大切に、まずは小さな場づくりから始めてみませんか?
オシロ代表・杉山博一による連載『偏愛物語』(note)にて、ブッククラブの情報を発信中!
本や読書にまつわるアクティビティを指す「ブッククラブ(読書会)」は現在、世界的にも大きく注目されています。オシロ代表・杉山博一がnote内に投稿する連載『偏愛物語』では、ブッククラブ(読書会)のトレンドやそのあり方について発信しています。
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