写真左 いとう・たつや◎東京藝術大学 社会連携センター特任教授
写真右 すぎやま・ひろかず◎元アーティスト& デザイナー。いくつかの起業を経て、 2017年オシロを創業杉山博一(以下、杉山):本プロジェクトに参画している企業や自治体には、最初どのように声をかけていったのですか。
伊藤達矢(以下、伊藤):ホームページの問い合わせアドレスに「東京藝術大学でこういった事業をやるので一度話を聞いていただけますか」と連絡しました。先方から「話を聞きたい」と言ってくださったケースもありますが、ほとんど自分からですね。
杉山:ご自分ではどのような視点で選ばれましたか。
伊藤:面白いことをやっている企業って実はたくさんあるんです。その中でも今回私がお声掛けさせていただいた企業の皆さんは、本当にトップランナー。クロネコヤマトさんのネコサポステーション、QDレーザーさんの網膜投影ディスプレイなど、世界に革命を起こせるような最新のテクノロジーを開発した企業の方々に参画してもらい、ありがたい限りです。
杉山:県や市などの自治体はどのように?
伊藤:例えば石川県と岐阜県の場合、文化庁が手がける「国民文化祭」という毎年各県が持ち回りで開催する事業があり、2023年は石川県(10月14日〜)、2024年は岐阜県で開催されるんです。そこで、先方から「国民文化祭を契機にメッセージを発信していきたい」という申し出があり、参画が決まりました。
杉山:なるほど。人と人、組織と組織、団体と団体がコミュニティにおいて縦横無尽に繋がっていく際に、何を重視されますか。
伊藤:これは私の考えですが、例えば「あなたはデザイン班です」「あなたはファシリテーション班です」と決めて、そのグループにリーダーを1人ずつ据えてグループを動かそうとすると、メンバーが固定化されたり、活動する人数が限られたりするんです。
そこで、「とびらプロジェクト」を始めた際にはこちらでグループを振り分けるのではなく、「ひとつのアイデアがきっかけとなり、小単位のチームが結成され、活動が終わったら解散する」という流れをつくりました。
02_とびラボ.png 381.85 KB杉山:つまり、「この指とまれ式」は、結成と解散が有機的に繰り返されていく組織運営ということですね。
伊藤:そうです。「とびらプロジェクト」では年間300回ほどのミーティングが行われていて、多様な人とチームを組めるので、メンバーの百数十人が常に混ざりあって固定化しません。
それから掲示板では、それぞれのミーティングの際のホワイトボードを撮影し、ブログにあげることを徹底しています。議事録を、ファイルを開いてまで読む人はほとんどいませんが、こうしたビジュアルだと目に入るからアクションしやすい。ミーティングの詳細な記録よりも、そのときの熱量だったり考えている様子が伺えたりするほうが、人の心を動かしやすいし、関心をもってもらえるんです。
03_青ターWB.JPG 2.77 MB東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」とびラー(アート・コミュニケータ)が自主的に開催するミーティング「とびラボ」で使用したホワイトボード(2012年)
杉山さんは「パレートの法則」をご存知ですか。「売上の8割は2割の社員に依存する傾向にある」という、イタリアの経済学者ビルフレッド・パレートが見出した法則です。
同様に「働きアリの法則」というのもあります。アリの集団を「よく働く・普通・働かない」に分けたとき、それぞれが2割・6割・2割になるというものですが、2割の働きアリだけを集めても、その中からまた2割・6割・2割に分かれてしまうそうです。
要するに、活動する人はどの集団でも2割だということ。でも私はこの法則を知ったとき、「2割が活動的に働くのには、8割のオーディエンスが必要なんだ」と感じた。ひとつのアクティビティを起こしていくためには、動く人の4倍くらい関心をもってくれる人が必要なんです。
杉山:「活動している人に視点を向けるオーディエンスを設計する」ことが、組織が一番健やかでいるために必要だということですね。
伊藤:そうです。組織に100人いて、「100人全員働け」と言ったところで、やはり力尽きてしまうし、働きアリの法則からしてそうならない。しかし、20人がとても良い成果を出しているのを80人がちゃんと見てくれる。
例えば、「今回のミーティングには参加できなかったけれど、次は行くね!」とか「あなたのやっていること、面白そう!」「すごい、こんなふうになったんだね」と声をかけてくれたら、20人によるアクティビティは健やかに保たれるのです。
04_基礎講座_1.JPG 1.29 MB東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」基礎講座(2023年)
05_基礎講座_2.JPG 6.57 MB東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」基礎講座(2023年)
しかも、その20人が今度オーディエンス側に回り、オーディエンスだった80人のうち数人がアクティブ側にバトンタッチしてもよくて。
いわゆるアクティブな組織をつくろうと思うと、活動する人の稼働率をもっと上げるにはどうすればいいか、活動しない人を活動させるためにはどうすればいいかという考えに陥りがちですが、8割のオーディエンスが2割のアクティビティの成果を見守ってあげる場づくりができれば成功するんですね。
「とびらプロジェクト」の話ばかりで恐縮ですが、アート・コミュニケータはボランタリーなんです。お給料はもらっていないが、お金ではない価値を見出している。でも、そのときに必要なのは、周りの人たちから見てもらっているという、いわば肯定感なんです。自分が能動的に取り組む気持ちを受け止めてくれる土壌があるかないかで、その人の踏み込み方も変わってくる。
杉山:それは本当に大事ですよね。僕らもOSIROのプラットフォームをつくりはじめたとき、いかに発信する側をつくれば良いか、躍起になっていたのですが、聞いてくれる人がいないと発信しつづけられないのだと、2年前に悟りました。
伊藤:そう、発信力を高めるよりも、一人ひとりの受信力をどう高めてあげられるのか。目的、目指す方向性、大事にすべき価値を共有しながら、互いにいろんなものを差し出し合ってコレクティブインパクトを目指すときには、発信力より受信力なんです。
前述しましたが、10人のチームでひとりのリーダーが残り9人を引っ張っていくよりも、些細なアイデアを感度高くキャッチできる受信力の高い人が9人がいるチームの方が、コレクティブインパクトも起きやすいと思います。
杉山:いや、あらためて聞くと、本プロジェクトは壮大な計画ですね。
伊藤:そうですね。これまでの社会は競争原理──競い合いや違いが求められたと思いますし、それは大事ですが、これからの社会に必要なのは、違いは個性として認めながらもそれをどう受信し共創していくのかだと思うんです。
また、共創するにしても、新しいアイデアって天から降ってくるわけではないので、組み合わせ、掛け合わせていく必要がある。しかもその組み合わせや掛け合わせのチャンスは、受信力が高ければ高いほど、生まれる可能性も高くなると思います。
杉山:先日、ある講演で「杉山さんにとって良いコミュニティは何か」と質問されたのですが、2年前から「聞くこと」もクリエイティブだと思い始めたんです。しかも、共通の価値観に基づいて集まった場であれば、発信者の熱量も高く、聞く側の受診率も高くなるということを実感していて。
では、それをコミュニティの仕組みでどうやって上げていくか。1990年代にイギリスの人類学者ロビン・ダンバーによって提唱された「ダンバー数」というのがあります。人間が安定的な社会関係を維持できるとされる認知的な上限を指し、平均約150人とされているのですが、僕らはOSIROの仕組みでプラス150人は上げられ、350人にできたと自負しているんです。
そこで次に取り組むべきは、受信率の底上げです。「聞くこと」はクリエイティブだから、聞ける人の比率をどこまで上げられるのかが、OSIROの新たな課題です。
伊藤:私も大学時代にあるプロジェクトを率先していたとき、別に褒められたいと思ってやっていたわけではなかったけれど、先生から「ちゃんと見てますよ」と言われたのが、それまでで一番嬉しい言葉でした。見てくれている人、聞いてくれる人、大事です。
杉山:ちょっと自分の話をしてしまうと、僕は社員と1on1をやるんですね。1on1というのは、相手の話を聞く時間が多くないと成立しない。でも、自分が喋っている時間のほうが多いなという自覚があったんです。
『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』という、ハーバード大学によって行われた史上最長84年にわたる「幸せ研究」についての書籍を読んだのですが、幸福で健康な人生を送るための鍵は「良い人間関係」であり、良い人間関係を構築する方法として、家族でも夫婦でも友人同士でもお互いがバランスよく喋ること──つまり話を聞くことが大事だと書かれていました。だから相手に伝える話の比率と、聞いてあげる比率をバランスよくしていこうと思ったんですね。
そこで1on1の際に「CLOVA Note」というAI音声認識アプリで録音して話した時間の比率を確認したら、僕は意識して2割しか喋っていないつもりだったのに、やっぱり5割も喋っていた(笑)。それで毎回計測するようにして、自分が3割、相手が7割まで調整できるようになりました。
伊藤:それは何よりです(笑)。
杉山:「話を聞く」で思い出すのは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開発されたグループでひとつのアート作品を見ながら意見を交換しあう「対話型鑑賞法」です。その手法も伊藤先生は取り上げておられますか?
伊藤:ええ。「とびらプロジェクト」では、VTS(Visual Thinking Strategies)を学ぶことで、作品を媒介としたコミュニケーションの場づくりを身に付ける鑑賞実践講座を開催しています。加えて、連携する「Museum Startあいうえの」では、子供たちがアート・コミュニケータと対話を行い作品をよく見る鑑賞プログラムを実施しており、アート・コミュニケータの実践の場となっています。
変更1_ズームインミュージアム_20230826.JPG 886.64 KB上野公園の9つの文化施設が連携する「Museum Start あいうえの」ファミリープログラム:とびラーとミュージアムの建築を探検して気になるポイントを見つける「ズームイン!ミュージアム」(2023年)
変更2_美術館でポーズ_20191130_撮影_カメラマン 宗彩乃.png 1.44 MB上野公園の9つの文化施設が連携する「Museum Start あいうえの」ダイバーシティ・プログラム:海外にルーツをもつこどもたちと日本のこどもたちが一緒に活動する「美術館でポーズ!」(2019年)撮影:宗彩乃
対話型鑑賞法も、杉山さんのご指摘どおり、聞く力、受信力の話につながります。アート作品を見ながら自分の感想を話すことって、心理的安全性が保たれている状況でないと無理なんですね。
だからファシリテーターは「その場をどういうふうに受信力の高い包摂的な場にしていくか」ということに考えを巡らせねばならない。グッドクエスチョンやニュークエスチョンが必要なのではなく、あくまで一緒に作品を見る。そうして、それぞれの人から出てきた言葉が重層的に重なったとき、誰もが自分ひとりでは気づかなかった理解の深まりを手にすることができるのです。
もうひとつ、MoMAで開発されたという点で補足すると、ギャラリートークをしてもみんな忘れてしまうという研究結果が出たんだそうです。なぜ忘れるのかといえば、人は自分が知っていたことや経験してきたことに結びつけて物事を理解する生き物だから。一方通行に情報が与えられたところで、理解には至らないんですね。
だから、対話型鑑賞では理解が深まる。その体験というのは、唯一無二のものになる。これはアクティビティを行う意味で、運営側がしっかりわかっていないといけないことだと思います。
杉山:確かにコミュニティの縮図はまさに対話型というか、双方向であることが大事な要素ですよね。
実際に僕がオシロを始めたのも、自分の経験がもとになっています。僕はもともと絵画を中心としたアーティストとして活動していたのですが、30歳を機に創作活動をやめてしまった。その大きな原因はふたつ。アートでの収入がなかったこと。そして孤独だったことです。
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食べていくための収入は、デザイン業やアルバイトなどの副業でカバーすることはできますが、クリエイターが活動を続けていくためには孤独の解消、つまり応援団が必要です。オシロは、主催者であるクリエイターと応援する人たちが仲良くなる仕組みを開発していったわけです。
それで本プロジェクトで目指している「孤独の解決」なのですが、伊藤さんは「望まない孤独や孤立」とおっしゃった。クリエイターにとって、孤独は必要な場合もある。だから「望まない」という部分があらためて大事だなと感じました。
伊藤:確かに、孤独というのは主観的なものだし、孤立というのは客観的な状態ですね。そこで僕が大事なポイントだと思うのは、やはりQOC(Quality of community:コミュニティの質)なんです。
人との繋がり方はふたつあると言われていて、ひとつは「ボンディング(bonding)」。親が子どもに対して抱く愛情や情緒的な絆のこと。接着剤のボンドでくっつけたような強い繋がりですね。もうひとつが、「ウィークタイズ(Weak Ties)」です。こちらは1973年に発表されたスタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェッターによる人間関係についての理論で、弱い絆、ゆるやかな繋がりを指します。
このボンディングとウィークタイズのバランスによって、居心地の良いコミュニティかどうかは決まると思う。ボンディングだけだと“ムラ社会”みたいな、監視的でしがらみが強すぎて居心地が悪くなるし、ウィークタイズだけだと挨拶する人はいるけれど、病気になっても気づいてもらえないとか、孤独死を迎える可能性が高い。数値で言うなら、少ないボンディングとたくさんのウィークタイズが必要なのではないでしょうか。
杉山:非常に興味深いお話です。
伊藤:以前、あるワークショップを開催したんですね。障がいのある子のお父さんと、障がいのない健常の子──と敢えて言いますが、20~30人の子どもが集まって、美術館で一緒に鑑賞したり一緒にモノをつくったりした。
そのワークショップを進める後ろで、双方の親保護者同士のコミュニケーションも並走させていたんです。それで障害のある子の父親が、健常の子の父親にその中で、ある保護者の方に「なぜ障がいのある子と一緒に美術館のプログラムをやらせようとに参加させようと思ったんですか?」と尋ねたんですよ。
実はその健常の子は、小学校受験に失敗して以来、受験課題だった絵を描くということをしなくなったと。それで評価とは違うこのような場で障がいのある子と一緒にワークショップができたら何か変わるのではないかと思って参加したんだそうです。結局、その健常の子は計6回のワークショップを通して自信を取り戻し、学校にも元気に通うようになり、なんならクラスで一番可愛い女の子に告白して帰ってきたんですって(笑)。
何が言いたいかというと、この健常の子の父親が障害のある子の父親に方が告白した「小学校受験に失敗した」「絵を描かなくなった」という話は、親戚や身近な人たちにはできないんです。ボンディングだから話せないことがあるというか。
杉山:ありますね。近すぎて話せない。
伊藤:だけど、ウィークタイズの関係には話せる。絆というボンディングと、自分の状態を享受してくれる距離感のウィークタイズ、このふたつのバランス感覚がやはり大事なんですよね。
「サードプレイス」もなぜ必要かというと、あれはウィークタイズだから。職場と学校はボンディングになりやすい。ウィークタイズの量はサードプレイスに期待されていて、つまりサードプレイスといっても「3つ目」である必要はなくて、たくさんの3つ目があればいいわけです。
杉山:まさに。日本人が属しているコミュニティ数の平均は2.5個と言われています。それってサードプレイスが一つもない人もいるということ。一方でフィンランド、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧では平均4.5個と言われている。僕は、日本の幸福度指数が低いのは、この所属コミュニティの低さも原因のひとつだと思うんです。
伊藤:確かに所属コミュニティ数と幸せを感じるかどうかは関連があるでしょう。ただ、幸福度指数でいうと、測り方も関係あったりするのかなと私は思うんですよね。
京都大学の内田由紀子さんの研究によれば、「自分が幸福かどうか」という基準の他に、「自分と一緒にいた人が幸福だと感じてくれているかどうか」が、我々の文化圏では重要な幸福度指数になるのだそうです。
例えば、家庭なり職場なり学校なりサードプレイスなり、一緒に過ごした人が幸福を感じてくれていたら、自分も幸福だと思えると。その場所から自分だけを切り出して客観的に幸福かどうかを問うのは、日本ではあまりフィットしないのではないかというんです。幸福を「ハッピー」と訳すのか、「ウェルビーイング」と訳すのか、その捉え方によっても変わってきますよね。
とはいえ、属するコミュニティの多様性とクオリティの高さが、人の幸福度をアップさせ、孤独を回避させるのは間違いないところだと思います。
杉山:本日は非常に貴重なお話をありがとうございました。
text by 堀 香織