しかし、毎回ひとつの場所に集まることは不可能なので、遠隔でもスムーズに、しかも単なる情報伝達ではない形でコミュニティ醸成を進められるツールが必要でした。
なぜなら、議事録はほとんど誰も読まないし、所属部署の肩書きを背負ったままだと個人的なアイデアや気持ちを発言しにくい。日常的に生きた情報交換を行うにはどんなツールを使うのがよいか検討していたところ、「とびらプロジェクト」でアート・コミュニケータを務める安藤さんから「良いツールがあるよ」と言われたんです。
杉山:「とびらプロジェクト」というのは、伊藤さんご自身が関わっておられる、東京都美術館と東京藝術大学によるソーシャルデザインプロジェクトのことですね。
伊藤:そうです。「とびらプロジェクト」は、美術館を拠点にアートを介してコミュニティを育むソーシャルデザインプロジェクトで、会社員や教員、学生、フリーランサー、専業主婦や退職後の方など、広く一般から集まったアート・コミュニケータと、学芸員や大学の教員などの専門家とともに活動しています。
「とびらプロジェクト」のアート・コミュニケータ(愛称:とびラー)たち
東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」とびらプロジェクトフォーラム後の集合写真(2015年)アート・コミュニケータは、例えば「こういうサポートが来館者にあったら喜ばれるのではないか」「こんなワークショップをつくったら面白いのではないか」など、新しい活動のアイデアが閃いたら、「この指とまれ!」と他のアート・コミュニケータを集めてチームをつくるんです。3人以上集まったら活動開始で、集まった人たちのもっているリソースを提供し合ってできる小さなプログラムを実現させていく。
その「この指とまれ!」を、今回の「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」でもやってみたいなと。つまり、研究者や企業の部長や自治体職員が「こんな勉強会してみたい」「こんなワークショップをやってみたい」と率先してプログラムを立ち上げる場を醸成したい。
とはいえ、「とびらプロジェクト」で使っていたようなWordPressの掲示板でやるのは、今回のような大掛かりなプロジェクトでは難しいので、既存のサービスとして成り立っているクオリティの高いツールを導入しようと考えたわけです。
杉山:OSIROのツールを導入したいと思われた一番の理由は何でしたか?
伊藤:最初はどこかの会社と共同開発をしていこうかと考えていたんです。それで杉山さんとの初顔合わせでやりたいことをお伝えして、「共同開発の方向性はありますか?」とお尋ねしたら、「共同開発をしなくても、伊藤さんがやりたいことはほとんどすべてうちのサービスで始められますよ」と(笑)。
杉山:僕自身は、伊藤さんが話されたプロジェクトの思想やビジョンに、非常に感銘を受けました。OSIROもサービスツールとして完成しているわけではなく、ともにコミュニティを模索しながら新しい機能を追加し、進化していけたらいいなと思っているので、選んでいただいて本当に光栄です。
ここであらためて、本プロジェクトの思想やビジョンをご説明いただけますか。
伊藤:まず、本プロジェクトは、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「共創の場形成支援プログラム」予算を確保して進めています。
私たちが令和4年度に採択された「共創分野(本格型)」の制度趣旨は「大学等を中心とし、国レベル・グローバルレベルの社会課題を捉えた未来のありたい社会像の実現を目指す、国際的な水準の自立的・持続的な産学官共創拠点の形成」であり、委託費は最大3.2億円(年度)、支援期間は最長10年度です。
対象分野は「科学技術分野全般」とあって、ほとんどの大学は量子やバイオ、海洋技術などサイエンス系のアプローチなのです。東京藝大はというと、人文系の強味を活かし、withポストコロナ時代を見据え、SDGsに基づく「未来のありたい社会像」に辿り着くための課題を研究事業としました。
杉山:東京藝大がそのような社会課題に携わろうとお考えになったきっかけは?
伊藤:実は「東京藝術大学の使命と目標」を繙くと、「芸術をもって社会に貢献する」という一文があります。
「第4期中期目標・中期計画」においても、SDGs(持続可能な開発目標)の達成やSociety 5.0への転換、well-being(ウェルビーイング)*の実現」「『芸術の力による、または、芸術と異分野との融合による、社会的課題の解決』を全学的に推進」という言葉が盛り込まれている。
*Well(よい)とBeing(状態)が組み合わさった言葉で、「よく在る」「よく居る」状態、心身ともに満たされた状態を表す概念
ですから、本プロジェクトが誕生するのは、至極普通のことなんです。
本プロジェクトでは、アートコミュニケーションの特性を活かし、人々が社会に参加していく新しい回路をつくり、誰もが超高齢社会で「自分らしく」いられる、誰も取り残さない共生社会の実現を目指します。
杉山:そういう社会を目指して、「NEXT SDGs」を提案されたんですね。
伊藤:ええ。いわゆるSDGsは「貧困をなくそう」「ジェンダー平等を実現しよう」「海の豊かさを守ろう」といった17に分けられた目標があって、そういう分類されたアプローチの仕方は素晴らしいと私も思います。
しかしながら、「持続可能な社会」を突き詰めると「限られた資源の中で人はどのように幸せに生きていけるのか?」という心の問題も考えなければならない。そこで、17の目標の成果がにじみ合っていくような総合力をつくることにより、人の心の豊かさを考えていこうと思ったわけです。
17の目標がにじみあったイメージを表現したNEXT SDGsのロゴ杉山:伊藤さんは「超高齢社会の孤独・孤立を解決するのは、ずばりコミュニティであり、コミュニティを解明することはテクノロジー発明に匹敵する」とおっしゃっていますが、そもそも孤独や孤立に着目したのはなぜですか。
伊藤:この17の目標の垣根がなくなる未来を考えるときに、それを阻害する大きな要因は「望まない孤独や孤立」だと思うのです。
日本では65歳以上が2030年には3人に1人になるという統計が出ています。高齢者になると、身体的な衰えも出てくるし、退職でますますコミュニティと接続することができなくなる。コロナ禍も追い討ちをかけている。「1日に15本のたばこを吸うよりも孤独や孤立した状態の方が健康を損なわせる」という研究結果まであります。
このような問題というのは、医療や政治が頑張ればよいとか、テクノロジーがもっと発展したら何とかなるものでない。むしろ社会的な総合値をつくって課題に向き合っていくことが重要です。
そこで、孤独や孤立に陥りやすい高齢者とその予備軍(例えばその家族や介助者)にまずはフォーカスをあて、段階的に若い世代や障がい者や子ども、多様な文化的背景をもつ人々が、なるべく社会に参加する入口をつくっていこうと考えたのです。誰も取り残さない社会的セーフティネットをこのプロジェクトを通してつくり上げていく中で、人々の幸福度の上昇に貢献できれば嬉しいです。
また、15歳以上65歳未満の人たちだけでなく、もっと生産的活動に参加できる65歳以上の人たちを増やすことにより、新たな経済活動の創出を図ったり社会保障費の負担を軽減させたりできるのではないかとも考えています。
とはいえ、芸術機関だけでは当然できませんので、医療や福祉、テクノロジー、地域のコミュニティネットワークや自治体、あるいは海外の研究機関やNPOなどとコミュニケーションをとりながら、コレクティブインパクト*をつくっていこうとしているのです。
*企業・行政・NPO・自治体などから集まったメンバーが、社会課題の解決のために知識や技術を持ち寄り、協力すること
杉山:それで本プロジェクトが誕生したと。素晴らしいですね。
伊藤さんはさきほど「単なる情報伝達ではない形でコミュニティを醸成していきたい」とおっしゃいましたが、具体的にはどのようなコミュニティを目指されていますか。
伊藤:「人を健康にさせるコミュニティ」「レジリエンス(回復力)の高いコミュニティ」を目指しています。
QOL(Quality of life:生活の質)という言葉がありますね。その言葉に倣ったQOC(Quality of community:コミュニティの質)という造語をつくりました(笑)。裏付けはないですが、やはり自分が属しているコミュニティの質がその人の健康に直結していると思うのです。
例えば、「眠れない」という人に医師が睡眠導入剤を渡すのは、医療的手法。対して、その方の話を聞いて「2週間くらい家から出てないですね」「家族以外の人とほとんど話す機会がないですね」と伝えて自覚させ、回復できそうなコミュニティにその人を接続させてあげることを、社会的処方というんです。
杉山:実際にそういったことが世界的に始まっているのですか。
伊藤:ええ。ソーシャル・プレスクライビングといって、人々をさまざまなコミュニティに結びつけ、健康と幸福の向上を促進しています。イギリスはすでにさまざまな形で社会実装されています。
私たちは、その社会的処方から着想を得て、「文化的処方」という拠点独自の言葉をつくりました。
文化的処方の例① 高齢者との対話鑑賞ワークショップ(独立行政法人国立美術館 国立西洋美術館)
Photo by Nakajima Yusuke本拠点では、個々人が抱える諸課題や社会との関係性、地域の文化芸術資源や場所の特性などを踏まえ、アート活動と医療・福祉・テクノロジーを組み合わせます。「文化的処方」は、多様な状況にある人々同士がゆるやかにつながり、その人らしくいられる場所を得て、クリエイティブな体験が創り出され、楽しさと感動が生まれ、心が解放され、心地良いコミュニケーションが自然と発生していく手法・方法・システムです。
効果として考えられることは、個人に対しては、活動する意欲や幸福感の増進、および健康の維持・改善といったウェルビーイングの持続的効果。地域社会やコミュニティに対しては、より寛容で包摂的な環境やシステムの誕生が期待されます。
文化的処方の例② 「だれでもピアノ」一本指でメロディを弾くと伴奏とペダルが自動追従し、誰でもピアニストのような本格的な演奏ができる楽器。(ヤマハ×東京藝術大学COI拠点)
文化的処方の例③ VR空間を活用した歩いて体験できる仮想美術館(大日本印刷)
Photo©DNP Dai Nippon Printing Co., Ltd. 2021, with the courtesy of the Bibliothèque nationale de France
杉山:オシロがツールの提供だけでなく、プロジェクトそのものに参画した理由は、まさにその「文化的処方」というテーマに共感したからです。
オシロはコミュニティ構築のアドバイスやサポートも伴走してコミュニティを育てていくサービスなので、今回も同じようにしようとすればできたでしょう。しかし、伊藤さんのプロジェクトの場合は特に、参画した39の機関の人たちがOSIROというツールを使って「仲良くなる」──という言い方は僕らがいつも使っている言葉なのですが、まず仲良くならないとプロジェクト自体、うまくいかないだろうと思ったのです。
だから、自ら参画し、サポート以上のサポートをしようと。
伊藤:それは本当にありがたいし、嬉しかったです。
杉山:ちなみに、今回のように立場の異なる人たちと協働してプロジェクトを行うきっかけとなった幼少期の原体験はあったりしますか?
伊藤:これは、まったく個人的なことでいまのプロジェクトとは何の関係もないのですが、実は親が議員をやっていて、最後は町長を務めたんです。地方の議員をやっていると、自分の選挙だけでなく、他人の選挙のお手伝いもある。それで子どものときによく父や他の方の選挙事務所で遊んでいたんですね。
それが非常に面白かった。いろんな人たちが入れ替わり立ち替わり入ってきて、しまいには自分の家なのかそうでないのか、わからなくなる。しかも「選挙」というひとつの物事に向かって大人たちが瞬発的な力を出し、一生懸命何かをする。その様子がわりと好きだったんです。
役割もそれぞれにあって、例えば母たちは食事を出していた。昼食も出していたし、選挙カーが走り終わって20時過ぎにワーッと人が来て、母のつくった晩飯だけ食べて帰っていく。もちろん自分の意思でやっているわけですが、そういうふうに「人を動かしていく場のエネルギー」というのをワクワクしながら見ていました。
杉山:なるほど。つまり伊藤さんは選挙に限らず、場を構築すれば人は自発的に動くし、自分の能力を発揮するということを信じているのですね。
伊藤:ええ。私は政治家になりたいと思ったことは一度もないのですが、人がそうやって動いていく様子にはとても期待がもてた。ただ、「政治だけでは世の中変わらない」という想いも同時にあって、自分は政治ではない方向からやれることがあるんじゃないかとずっと思っていたんです。
その中で制度や仕組みの外側にある「美術」や「芸術」自体が、結果的に人の心を動かしていくことにあらためて気がついた。心が動かされて何か動いていくときのエネルギーというのは、非常にリアリティがある。ソーシャルデザインプロジェクトや、本プロジェクトのように、人のエネルギーが社会を変えていく力になりコミュニティを醸成していく──そんなアプローチができるのではないかと思っています。
杉山:(2023年)6月2日、39の機関が渋谷の施設に集まって、本プロジェクトが発進しましたが、個人的にはあの日の伊藤さんの「蕎麦打ち」の話がとても印象的でした。
伊藤:ああ(笑)。僕は会津生まれで、僕の子どもの頃の会津の人たちはだいたい自宅で蕎麦を打っていたんです。そば切り包丁やのし棒も持っていて、父も例に漏れず、毎年正月にはいまでも手打ち蕎麦を打っています。
それで、蕎麦は一気加水が基本なんです。水を入れるタイミングが1回きり。蕎麦粉を練っていて、「あれ?これ柔らかいんじゃない?」と思って粉を足すかというと、足さない。「これは硬いな」と思って水を足すかというと、足さない。最初の粉の状態のときに水を入れて回すと、全体的に粘り気が出て、硬さが生まれて、小さな団子になっていく。それがきちんとできると、ちゃんとひと塊の蕎麦の団子になるんです。
つまり重要なのは、水の回し方。適切な量の水がきちんと全体に行き渡るからこそ、最終的に大きな塊になるのであって、水が行き渡ってないところがあったり、水分の多いところがあったり、あとで水を足すかとか粉を足すのは駄目。プロジェクトも、スタートした際にいかに全体に水を回すのか、その水の回し方というのが非常に大事なんです。
杉山:コミュニティには、ずっと手をかけていかないといけないものと、勝手に自走していくものがあって、できれば後者が望ましい。そのためには最初の水が肝心だということですよね。
そういう視点でいうと、弊社の他のコミュニティでうまくいったことを本プロジェクトに提案はしようとは、僕も思っていないんです。伊藤さんの思想や考えはやはり独特だし、普通のコミュニティを運営するよりも、もっと愛情深い。
ですから、その思想や考えが、水が行き渡るようにプロジェクトに浸透するにはどうしたらいいか、僕なりにずっと考えています。
▷後編 ボンディングとウィークタイズという、2つの人との繋がり方 に続く text by 堀 香織