「文学」。現代を生きる私たちにとって、この言葉にどのような印象を持つのかは、実にさまざまだと思います。書店やECで購入すればすぐに読める手軽さを持ちながらも、同時に「自分には難しそう」「とっつきづらい」と思う方も多いと思います。
しかし、もしも作家自身から直接話を聞き執筆の背景や想いを知ることができ、作品について仲間と一緒に語り合える場があれば、文学はより身近で親しみやすいものになっていくのではないでしょうか。
“その作品をだれかが読んで、なにかを感じとる。そこではじめて、あたらしい文学の出来上がりとなります。”
そう語るのは、オンラインコミュニティ「文学茶話」を創設したライター・山内宏泰さんです。作家と読者、そして読者同士をつなげ、互いの読書体験をシェアしないがら、いま現在の文学を仲間と共に紡いでいける場をつくる山内さん。そこにはどのような想いやビジョンがあるのでしょうか。山内さんと文学、文学茶話の創設背景や今後の展望について、話を聞きました。
文学茶話
image7.png 1.14 MB
読者として文学を読み、聴き、話し、触れることで「じぶんたちの手であたらしい文学をつくり、味わい尽くす」ためのオンラインコミュニティ。文学や読書にまつわる情報を、随時お届けし、文学のことを何でも言える・語れる場を用意している。
コミュニティ限定のコンテンツとして下記のような内容が用意されている。(一部抜粋)
1. 文学を「読む」
自分や仲間が日々記す「ブックログ」が随時閲覧可能。読んだ本をふりかえったり、次に読みたい本を見つけられる。文学にまつわるニュースを随時発信する「文学ジャーナル」もいつでも閲覧可能。
2.文学を「聴く」
最前線でいまの文学を生み出している作家をお招きし、リアルタイムで「現在文学史」を紡いでいく文学イベント「文学茶話」を、都内で毎月開催。映像・テキストによるアーカイブも蓄積し、いつでも何度でも触れられる。
3.文学を「話す」
読んだ! と心から言える本を、抱えきれないほどつくるのを目標とする「わたしの千冊」読書会を、毎月開催。部活動として、テーマを絞った自主的読書会も随時開催する。
文学茶話の詳細・入会はこちら▼
https://bungakusawa.com/about
文学茶話 公式Instagram▼
@bungakusawa
商品のパッケージまで読み漁った「活字中毒」の少年が、文学・芸術の書き手になるまで
DSC09298.jpeg 7.74 MB「文学茶話」を主宰し案内人を務めるライター・山内宏泰さんーーまずは山内さんにとっての文学との出会いについてお聞きします。文学茶話の案内人を務める山内さんは、どのように文学に目覚めていったのでしょうか。
山内宏泰さん(以下、山内さん): 「この本に出会って目覚めた」というような明確なきっかけはありませんでしたが、思い返すと、小さい頃から読むことが好きでしたね。活字中毒なところがあって、文字があれば、商品のパッケージの文字でも細かく読んでいました。当然ながら国語が得意だったりして、それで普通に小説も読むようになったのだと思います。
小学校高学年になると、本屋さんで『コロコロコミック』と一緒に文庫本も買ってもらえるようになって、なんの前知識もなくヘミングウェイの『老人と海』やトルストイの『幼年時代』などを手に取っていました。それが私と文学との出会いだと思います。
ーーご家族も文学好きだったのでしょうか。
山内さん: 実は、全然そんなことはないんですよ。
私の実家は愛知県の田舎にあり、親も公務員として働くごく普通の家庭でした。昔はよく図鑑や百科事典が揃っている家もありましたが、うちにはそんなものはなかったので、本はむしろ少ない家庭だったと思います。当時はこうして出版の世界にいたり、本をつくるようになるとは思ってもいませんでした。
ーー山内さんは大学卒業後に出版社へと入社されていますが、ライターになりたいと考えたのはいつ頃だったのでしょうか。
山内さん: 大学生活が終わる前、就職活動の頃だったと思います。その時点で「
とにかく書くことを仕事にしよう」と思っていましたが、新卒の人間がすぐに書かせてもらえる場所はそう多くありません。それなら、まずは業界の仕組みのなかに身を置き、ライターとして一本立ちするためのノウハウや、業界内のつながりをつくるための修行をしようと考え、出版社や編集プロダクションで働いていました。
ーーその後、フリーランスのライターとして独立されるわけですが、当初から文学や芸術のジャンルを専門にされていたのですか?
山内さん: いえ、独立したのは30歳前後だったと思いますが、まずは食べていくために週刊誌や新聞などの仕事をメインに、なんでもやっていましたね。ただ、そのぶん鍛えられたところもありましたし、自分が関わるフィールドが広がっていった時期でもありました。
そうした泥臭い仕事を全力でこなしながら編集者の方々と知り合いになっていくなかで、
「実は自分は、個人的に文学や現代アート、写真といったカルチャーのジャンルがすごく好きなんです」という話を、普段の雑談のなかで種蒔きのように伝え続けていました。
すると、「今度うちのカルチャー誌でこういう企画があるんだけど、山内くんやってみる?」と少しずつ声をかけてもらえるようになっていったんです。当時は今よりもカルチャー誌が充実していた時代でしたから、その中のいくつかの雑誌で記事を書かせてもらえるようになったのが、私のライターとしての最初の突破口となりました。
「作家の言葉に耳を傾け、みんなで語り合う」そんな一時があると、文学はもっと楽しくなる
DSC09225.jpeg 9.69 MBーー文学や芸術分野で活躍されるなかで、山内さんが作家と読者の距離を縮め、文学を身近に感じられる場をつくり始めたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
山内さん: もともと自分は文学やアート、写真が好きでしたから、仕事とは関係なくいろいろな展覧会やギャラリーへ足を運んだり、トークイベントを聴きに行ったりしていました。そこで新しいネタを仕入れたり、知識を深めたりしていたわけですが、ある時ふと「
ただ原稿の依頼を待って書くだけではなく、自分の仕事として『場』を設けることができないか」と思うようになったんです。
私は、ライターとしての活動の大部分を、広い意味での「取材」だと捉えています。そのため、私にとって
場を企画したり運営に携わることも、一つの取材のあり方なのではないかと思いました。
ーーイベント自体が山内さんにとっての「公開取材」のかたちであると。
山内さん: そうです。私が最初に定期的な場として立ち上げたのは、実は文学ではなく写真のジャンルでした。私が写真家の方に「個人的に会いたいです」とアプローチしたところでそう簡単にお約束はいただけません。ですから、
自分の取材活動の幅を広げ、作家の方に快くお越しいただくための場を、自分でつくってしまおうと考えたんです。
そこで、代官山の蔦屋書店さんを会場にして『写真を読む夜』というトークイベントを主催し、最前線で活躍する写真家の方を月に一度お招きして、私が聞き手となってじっくりお話を聞くという試みを始めました。結果的に6〜7年続けて
書籍にもなりましたが、これが定期的な場づくりの最初の原点になりました。
ーー山内さんの純粋な「取材をしたい」という思いがありつつも、写真家にとっても参加者にとっても魅力的な場になっていたのですね。
山内さん: 当時は写真雑誌も今より多くあったので、インタビューする機会も多かったのですが、「取り上げたい素晴らしい写真家はたくさんいるのに、雑誌のページ数だけでは到底追いつかない」というもどかしさも感じていました。それなら、
媒体の枠を飛び出して、自分で毎月好きな人を呼べる場をゼロからつくってしまえばいい、と考えたのです。写真の世界というのはとても狭いので、皆さん自身の作品について深く発信したり、批評的に交流したりする場を求めていらっしゃいました。ですから、「新しくこういうフラットな場を始めましたので、対談しませんか?」と声をかけると、皆さん喜んで来てくださったのです。
ーー山内さんはその後、小説家の平野啓一郎さんが主宰していた「飯田橋文学会」の運営に携わり、現在でも文学ワイン会「本の音 夜話」のナビゲーターを務めていらっしゃいます。数々のリアルな場をプロデュースしてこられたわけですが、山内さんにとってこうした「場」には、どのような本質的な価値があるとお考えですか。
山内さん: 私が「場」にこだわるのは、自分自身のライターとしてのキャリアが関係していると思います。先ほども言ったように、
私は「取材をして、書くこと」が最終目的であり、それがなにより大事だという根幹が昔からあります。
もちろん、純粋な文芸批評の世界などでは「私情を挟まないため、あえて話を聞かない」という姿勢もありますし、そのアプローチも一つの正当な手法です。ただ、私は「
実際に生身の相手に会って、その肉声を聞いて、初めて自分の文章の一行目を書くことができる」という、現場主義の記者的なスタンスなのです。でも、そういう
生身の「出会いの場」が世の中に存在しないと、前に進まないこともあると感じています。
文学という営みは、作家が小説を書くことも、読者がそれを読むことも、基本的には孤独な作業であり、「個」として向き合うことしかできないものです。
しかし、
ある場所に集まって作家の言葉に耳を傾け、みんなで語り合う。そんな一時があると文学はもっと楽しくなる。そんな「生の体験」こそが、文学という文化を前に進めるために重要だと考えています。
DSC09861.jpeg 8.26 MB小説家の角田光代さんを招いた文学茶話のイベントの様子。作家と読者を近づけ、文学に触れる「生の体験」ができるイベントづくりにこだわっているーー作家と読者がフラットに出会う場。それをさらに発展させる形で立ち上げられたのが、今回のオンラインコミュニティ「文学茶話」ですね。なぜ、単発のイベントではなく「コミュニティ」という形を選択されたのでしょうか。
山内さん: これまでさまざまなイベントを主催したり、お手伝いをしてきましたが、
個人的にはもっと頻度高く、熱量の高い場をつくりたいという思いが強くなっていました。ただ、オープンな既存のSNSや、単発のトークイベントをただ繰り返すだけだと、その場限りの刹那的な盛り上がりで終わってしまい、せっかく生まれた濃密な知見や対話がタイムラインのなかで埋もれてしまいます。
コミュニティのなかに「話したこと、考えたことがちゃんとストックされていく仕組み」が、現在の文学シーンにとっても私自身にとっても、絶対に必要不可欠ではないかという強い仮説がありました。それが、独自のオウンドプラットフォームである「OSIRO」を選んでコミュニティを創設した決定的な理由です。
image5.jpg 144.39 KB文学茶話のトップページとコミュニティ内の様子。
AI時代に回帰する「文化への耽溺」。文学を味わい尽くすためのコミュニティ
DSC09267.jpeg 4.94 MB――文学茶話の立ち上げにあたって、「根拠はないけれど、これから文学が来る」というお話をされていました。近年、著名作家の窮状が話題になったりと、文学界に対する世間のアンテナが非常に敏感になっている印象があります。この状況と山内さんの予感は、どのようにつながっているのでしょうか。
山内さん: まさに、そういう
シビアな話題が人々の関心を集めやすくなっているということ自体が、話題の中心に文学や芸術といったテーマが徐々に躍り出てきている予兆なのだと思います。「小説家が食えない」という問題については、厳しいようですが今に始まったことではなく、それこそ明治時代からずっとそうです。現在では文豪と呼ばれている夏目漱石も、小説の印税だけで優雅に暮らしていたわけではなく、新聞社の社員として毎月給料をもらうことで生活を成り立たせていました。今が特に苦境かと言われればそうではなく、昔も今も「ずっと苦境」なのです。
ーー最近ではAIの影響も見過ごせない話題になっています。山内さんは今後のAI時代と文学や芸術の関係性について、どのような考えをお持ちですか。
山内さん: 最近私が編集協力をしたメディアアーティストの落合陽一さんと小説家の田中慎弥さんの対談集『
堕落論』(徳間書店)では、これから本格的なAI時代が来た時「人間は文明的な労働から解放されるだろう」と予言していますが、おそらく確実にそうなっていくでしょう。では、文明的な労働から解放された人間は、残された膨大な時間で一体なにをするのか。
落合さんは本の中で「
人間はただ文化に耽溺して過ごせばいい」と語っています。資本主義的な生産活動や余剰の再生産はすべてAIに任せておけばいいから、
みんなが文学や音楽といった「文化活動」ばかりをするようになっていく。そのような地殻変動が、今まさに加速してきているのだと思います。
ーー人間が労働から解放されたとき、なぜ「文学」が選ばれるのでしょうか。
山内さん: 「人間はこれからなにをやったらいいんだろう?」と考え始めた時、
文学は、ある種「最高のおもちゃ」なんです。なぜなら、文学にはこれまでの1000年、2000年という、人類の凄まじい歴史の蓄積がありますし、パソコンやスマホ、あるいは紙と鉛筆という「文字」の最小限の要素だけで、無限の世界をなんでもつくることができます。
人間の想像力の余地が一番大きいという意味でも、これほど贅沢で楽しいおもちゃは他にありません。
ーーでは、文学を楽しみ、味わい尽くすための場として、なぜコミュニティが求められるのでしょうか。
山内さん: 私はよく、
作品を味わうには「1度目の楽しみ」と「2度目の楽しみ」があるとお話ししています。初めてその作品に触れて純粋な感動を覚えるのが1度目の楽しみ。そして、その後に「あれはこういう意味だったんじゃないか」「ここが素晴らしかった」と語り合うのが2度目の楽しみです。
文学について語り合える仲間が近くにおらず、機会がない方も多いと思います。一方で、既存のオープンなSNSでは埋もれてしまったり、作品や作家に対して中傷が目についてしまったりと、純粋に作品を味わい尽くすことが難しくなっているのが現状だと思います。
だからこそ、OSIROというクローズドで安全なオウンドコミュニティが必要だったのです。
文学と読者をノイズから守り、味わい尽くすための場所として、文学茶話を設計しました。
DSC09829.jpeg 8.32 MB
「業界以外の人」の多様な視点から、21世紀の「現在文学史」を紡いでいきたい
DSC09276.jpeg 8.93 MBーー文学茶話はこれまでのイベントとは異なり、継続的なプロジェクトとなります。山内さんとして、今後取り組みたいことなどがあれば教えてください。
山内さん: 私は、この
コミュニティを通じて21世紀になってからの「現在文学史」を、メンバーと共に体系的に作り上げ、蓄積していきたいと考えています。2026年という今年は、今世紀が始まってちょうど最初の四半世紀が終わった、極めて絶妙なタイミングです。これまでの25年間の文学シーンを振り返るのに、これ以上ない時期だと思います。
今のリアルタイムの文学シーンというのは、外から客観的に見ると非常にわかりづらい部分がありますし、当然ながら色々な要素が入り混じっています。例えば「今の時代において、平野啓一郎という作家は一体どういう位置づけなのか」と言われても、捉え方によって微妙なズレが生まれて、はっきりとした輪郭が見えづらかったりしますよね。
そういうものに対して、たとえ
個人の勝手な見解であっても、一度きちんとした現代文学の俯瞰図のようなものをコミュニティ内でつくって提示したいのです。マップがあれば読者の読書案内にもなりますし、現在の混迷した文学を読み解く大きな手がかりになります。
ーー歴史を自ら書く、紡ぐというのは非常に壮大な試みですね。
山内さん: 歴史を自ら書こう、紡ごうと言うと、どこか傲慢で大げさなことのように聞こえるかもしれません。しかし
歴史というのは、後から誰かが勝手に決めるものではなく、結局のところ、その時代をリアルタイムに生きた「誰か」が書き残し、つくっていくものです。そして私は、歴史というのは業界の内側の人間だけでつくるのではなく、さまざまな立場の人の、多様な視点が入ったほうが健全だと思っています。
ですから、
文学茶話には「業界以外の人」にたくさん入ってきてほしいと思っています。普段はまったく違う仕事をしていて、多様なバックグラウンドを持って色々な生き方をしている人が読み手として加わってくれたほうが、コミュニティとして圧倒的におもしろい会話が生まれます。それぞれの視点で「私的な現在史」を書き残し、そのうちのいくつかのマップがコミュニティの中で統合され、精査されて、最終的に次の世代へ残る正史のようになっていく。その
「歴史の編纂」という壮大なトライを、この場所でメンバーの皆さんと一緒にやっていきたいのです。
ーー単に消費するだけの読者ではなく、共に文学の歴史を紡ぐプレイヤーを育てていくということですね。
山内さん: まさにその通りです。だからこそ、私はイベントでもコミュニティでも、作家を一方的に「壇上」に祭り上げ、用意された言葉を述べてもらうような予定調和なものはしたくありません。
作家を過度に神格化して遠ざけるのではなく、同じフラットな目線に立って、その場で生身の言葉が生成されるコミュニケーションを大切にしたい。
「最近、なんだか文学が来ているんじゃない?」という空気感をどこかでキャッチして、「じゃあ、もうちょっと深く知ってみようかな」という
真っ白な動機で、このコミュニティを見つけて入ってきてくれる若い世代が増えると本当に嬉しいです。
皆さんと共に、「文学茶話」という場を、これからの新しい文学を自分たちの手でつくっていくための実践の場としていきたいですね。
山内宏泰さん
ライター、オンラインコミュニティ「文学茶話」主宰・案内人
文学、アート、写真、伝記などのテーマを多く執筆し、著書に『文学とワイン』『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』『写真のプロフェッショナル』等。
好きな作家は夏目漱石、池澤夏樹、ドストエフスキー、ジョージ・オーウェル等。
Webサイト: 山内宏泰 website
X: @reading_photo
文学茶話 Instagram: bungakusawa